日本のJCS エルサレム・バージョン
d0079799_1532715.jpg劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター」を、先月のジャポネスク・バージョンに続いて観劇してまいりました。日曜マチネ。ほぼ真ん中のとても良いお席で見せていただきました。

写真はロビーの展示物です。日生劇場でのセットの模型です。こんな大きなセットは今の劇場では再現されていませんでした。

今年、四季のJCSは3回目なんで、区切りをつけるという意味で、詳細なレポを書いてみようかなと思います。記憶に焼き付いているものだけが頼りなんで、その点、ご了承下さい。
あ、あともちろん、ネタばれしてますので、ご注意下さい。




d0079799_15425321.jpg開演時間となり、照明が変わって客席がスポットライトで照らされていたが、やがてその光が舞台へと動いたのかなと思ったときに、「序曲」が始まった。

これは仕方のないことなのだが、舞台下手のあたりのスピーカーからの音が出てくるのがよく分かって、ナマの音とはほど遠い音色が流れてきたときに、舞台を観るんだというワクワク感に水を差されたような気持ちになった。このスピーカーからの音が、終演まで、度々私を現実に引き戻し続けることになった。

私はサンシャイン劇場と日生劇場でJCSを観ているが、四季劇場「秋」はあまりにも小さく感じられた。広大な砂漠を連想させてくれていた金森馨氏のセットが、ここでは生かされていないように感じられて仕方ない。しかも、舞台の床表面がテカテカと光って見えて、微妙な傾斜を出すための継ぎ目らしきところは、セメントでも流し込んだような不自然さで盛り上がっているのだ。

「序曲」
ジーザスやユダも含めると群衆も含め舞台上にいるのは35~37人くらいだろうか。
いかにも窮屈な感じ。しかもその中に12人の使徒がいるとすると(全員同じ様に見えちゃって群衆と区別つかないけど)、あとの群衆は何人でマリアも含めて女性はどのくらいの割合で混ざっているのかなとか、そんな計算をしてしまった。

日生劇場で観たときには、ヘロデ王役の市村正親が群衆役でも出演しており、縦横無尽に舞台を駆け抜け、群衆たちは皆、序曲のビートにのってリズムをとり、踊っていたように記憶している。

今回の舞台では、わざとリズムをはずしているかのような動きはするが、若々しい踊りとか、はじけるような笑顔とか、そういうエルサレム・バージョンで私が最初に受けた印象は全くなくなっていた。ジャポネスクのときにもビートがない!と思ったが、こちらのアレンジのほうが更にリズムが薄れてしまったようで、「序曲」好きな私には、辛いものがあった。

「彼らの心は天国に」
ユダ(金森勝)は、冒頭からもだえ苦しんでいた。
芝清道のユダは、さめた目と怒りを秘めた知的なユダだったが、金森ユダは、いきなり死にそうな悶絶の表情を浮かべていた。ルックスはユダのイメージにあっているな~と思った。韓国人の俳優さんだそうだ。ちょっと高音が歌いにくそうだった。

しかし、ジーザスは舞台中央で病める人の手をにぎりつづけるシーンはもうずっと何十年も変わらないが、このジーザスの姿は、「神」と崇められ、群衆の中で頼られてきたことの象徴になるのだろうか。。。弱々しくはないか?

「何が起こるのか教え給え/不思議な出来事」
緊張感と迷いが、正直すぎるほど見え隠れするこのユダのお陰で、ジャポネスクの時のジーザスとユダのパワーバランスが、エルサレムでは完全に逆転することとなる。
それにしても、ジーザスがおっきなお口を開けて、まっすぐ客席を観て「なーぜーしーりたい」と歌うスタイルこそが「不思議」に見えてしまった私。

「今宵安らかに」
マリアは高木美果。ジャポのときの木村花代マリアより年齢が高そうな印象。
香油でからだを清めてあげるというよりは、水をふりかけているようなサラリとしたジーザスとのからみ。ジーザスとアイコンタクトはほとんど無い。
この場面で、ジーザス、マリア、ユダとの関係性をもう少し鮮明にしたほうがいいような気がするが、個人vs個人の深い人間関係を掘り下げないのが、ここでの演出法らしい。

だが、驚くのは一番最後である。ユダが消えていく方向に使徒らしき者が3人従っていくのだ。
ユダは一人で消えることはなく、3人の従者がいるというスタイルは、最後の晩餐のときにも繰り返された。ジャポネスクでも同じだったので、印象的だった。
裏切り者のユダには、仲間がいたのか???彼はひとりぼっちではなかったのか?
ユダの孤独や焦燥感より、全体の流れにこだわると、そういう演出になるのかな。
ユダだって使徒なんだから、仲間がいてもおかしくはないけど、使徒たちの中にも派閥があるような印象をつくりあげるっていうのは、ジーザスvs群衆を対比する演出方法につながるものを感じるのだが、どうだろう。
そして、もう一人、群衆にある人物が仕込まれているのだ。。。。

「ジーザスは死すべし」
群衆から離れて出てきたヘッドスカーフをした男がユダヤの司祭たちのもとにやってくる。
ジーザスは町で人を集めている、あ、今、側に来てますぜと告げ口をする。
スパイか~。
アイデアは分かるけど、肝心のカヤパとアンナスのキャラがぼけている。
憎たらしくない。ずるがしこい感じがしない。
昔、菱谷紘二がアンナスを演じたときには、どこから声が出ているのだろうという奇妙な歌声だったけどそれがまた良かった。しっかり演技もしていたように記憶している。
あ、そっか、歌は歌ってるけど、みんな客席をまっすぐ観て朗々と歌い上げるだけで、余計な演技はしないという演出なんだなと納得する。そこからは、歌を聴くことに集中しようと考え直す。
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「ホサナ」
見逃したが、さっきのスパイは群衆?にはねとばされたか何かしたらしい。
どこかしきりに痛がっているような様子だった。あ、ここでは演技があった。
日生のホサナはセットの奥から群衆たちがわ~っとわきあがってくるような感じがして、奥行きとスピード感があったような。規模が小さい劇場にこのセットはどうなんだろうと思ってしまった。

「狂信者シモン/哀れなエルサレム」
シモンの歌がちょっとパワー不足だし、群衆たちも音楽に乗った振り付けもされていないので、狂喜乱舞っていう感じが薄い。沢木順さんのシモンと比較しちゃかわいそうかな。
バラバラな動きの群衆の中、人間おみこしされているジーザスだけが、軽やかに音楽にあわせて揺すられている。
舞台中央でシモンが背中を向けてジーザスに手を広げる一瞬、シモンを観るジーザスの目が鋭く光った。あ、これ、いいな~。ゾクっときた。こういうのをもっとして欲しいのにな、と思った。

♪何ひとつ分かってはいない♪

と言うジーザスの言葉に、だらだらと群衆たちが崩れ折れて行く。
混乱というより、くたびれちゃったのかな群衆、という感じ。
群衆が舞台でねっころがると夜をあらわすのかな、などとぼんやり考えた。

「ピラトの夢」
目をつぶって拝聴。ピラト、動きなし。声だけで充分。

「ジーザスの神殿」
ジーザスが唯一と言っていいくらいパワーを発散させる場面。
ジーザスはもともと群衆たちとあまり行動を共にしている印象がないので、豹変したジーザスに驚いたというか、先生が急に怒り始めちゃったよっていうほうが近いかもしれない。
群衆はどこまでもアホ。闇市とか金儲けの巣窟というより、この市場は遊びに近いことやってるような感じ。

「今宵安らかに/私はイエスがわからない」
私の知っている四季のJCSを観た人たち、ほぼ全員が、「なんで、マリアは客席を向いて歌って、ジーザスは放置状態なの?」と不思議がる。
マリアのこのアッサリした感じが、のちに歌われる、やり直すことは出来ないのですかを、つまらない歌にしてしまっているのではないか。
あまりにもストイックなんで、高木マリアは、喪に服している未亡人のような印象を残す。そういうマリアを演じられるっていうのも貴重かもしれない。。。

「裏切/賞金」
最初のシーンからこの場面に至るまで、ユダの苦しみのトーンが変わらないので、ここまでたどり着く悩みの深さがかえって際立たない。
報酬の入った袋を掲げ持つユダをじっとジーザスが見つめる演出で、二人の道が分かれたのだということを描いているようだ。
だが、ジーザスはユダが何をしているのか、知っているというネタばれを起こしている。だから次のシーンで、「この中に裏切り者がいる」とジーザスが言う場面が劇的ではなくなっている。

「最後の晩餐」
日本人の多くが、キリスト教に疎いとしても、レオナルド・ダ・ヴィンチのあの有名な絵は知っているのではないだろうか。勿論、ダ・ヴィンチの絵は彼の想像だけど、舞台の奥で円陣つくって、パントマイムでパンと葡萄酒をやらないで欲しいなと思ってしまう私であった。
弟子達の背中越しに、♪その~ワインは♪、♪その~パンは♪とジーザスに歌わせるのは、宗教色をなくすための演出ということなんだろうが、いかにも不自然じゃないだろうか。

この最大の見せ場は、ジーザスとユダの激しい対立なのだが、「お互い悩みがあって大変そうだな」という以上の理解は観客には無理であろう。ジーザスの孤独、ユダの絶望の深さの原因が不明瞭。

ここで感じたのは、存在感でいうと、ユダが弱くてジーザスが強いバージョンだということだ。そこが非常に興味深かった。通常、JCSはユダの視点で描かれる、ユダから観たジーザスの物語だ。しかし金森ユダは、物語をひっぱる役割は担っておらず、ひたすら恋しい気持ちが言えずに悶々としている印象が強い。反対に、柳瀬ジーザスは、のびのびとしていた。少なくともジャポのときよりは。あ、白塗りじゃないから、表情が見えるせいか。。。

「ゲッセマネの園」
これまで3回のうちで最も良い出来だったのではないかしら、柳瀬ジーザス。
きちんと歌えていたという意味ではなく、俳優自身が、自分なりにとらえたジーザスを歌い上げることができていたのだ。
ジーザスとしては、クラシック調の歌い方はあまり好みではないが、ここまで歌えたら卒業しても良いのではないかなと思った。そろそろ新人さんにも出てきて欲しいな。
それか、山口ジーザス、今の年齢で歌ってみて欲しいな、などと想像する。

「ペテロの否認」
聖書の中でも有名なエピソードのひとつ。
ジーザスの予言どおりに、ジーザスを知らないと3度言ってしまうという場面。
・・・が、しかし、ペテロの一言「知るもんかっ、あんなやつ」という台詞を聞くと、やっぱり、ペテロの、というか十二使徒たちは、群衆たちとまったく変わらない扱いで演出をつけられていることをここでも確認した。

「ピラトとキリスト」
ピラトは、客席ばかり観て歌う。
♪窮地にありながら、冷静そのものじゃないか。
♪驚いたぞ全く。
という内容を、まっすぐ、前を向いてはっきり歌えば、歌詞は分かる。
しかし、ジーザスに対する彼の心情は、はっきりしないまま。

あ、それから、音響だが、歌が始まると、しゅーーーーっと音楽の音量を絞るのが分かるので、益々カラオケボックスっぽい。

「ヘロデ王の歌」
正統派な王様。

「やりなおすことはできないのですか」
スルー。すっごく良い歌なんだけど、何も残らない。
ペテロもマリアも、ジーザスにやり直したいと呼びかけるには、これまでの描かれ方では、動機が弱すぎる。

「ユダの自殺」
どうして愛したんだろう。
ユダのその叫びは伝わってきた。
しかし、このユダの消え方は、自殺じゃない。密告をするのはユダの本意ではなかったのだということを強調するために、あり地獄にはまったような抹殺のされかたをするということなのか。
裏切り者ユダは被害者だったのだという演出では、かえってユダの悩みも愛も軽くなってしまわないか?

「ピラトの裁判と鞭打ちの刑」
ここでもピラトは一本調子。ピラトに統治者としての威厳はない。
なんのためにジーザスがむち打たれるのか?
民衆の衣裳の色とセットがほぼ同じ色のトーンなので、岩なのか人なのかも分からないくらい。
民衆はその程度の存在感。それが「殺せ!」と叫ぶ。しかも、コーラスの大半は録音されているというのが明らかに分かる。

鞭打ち。。。これまでの静かな描き方から急にリアルな感じを出す。
ひっぱりまわされ、背中のムチのあとを痛々しく生々しくみせようというのは分かる。
観客にはこのシーンが一番心に残るのだろうか・・・・。うーむ-_-;

「スーパースター」
ユダとソウルガールの雰囲気が古くさい。80年代の洋楽PVみたいで。
舞台の両端に立って、歌うだけか~~~。とっても、がっかり。
こんな扱いじゃ~この曲がかわいそうだ・・・・orz
ソウルガール。天国から来てくれたんだから、もっときれいでセクシーな衣裳を着ようよ。

「磔」「ヨハネ伝第19章41節」
血がぼとぼとっとジーザスの手から落ちる。
ジーザスの最後の叫び声がとっても力強い。。。。
マリアがひっそりと十字架を見上げて、美しく終了。

ジーザスを十字架からおろすところで終わるプロダクションをいくつかビデオで見たけど、確かに降ろす意味はあるなと強く感じた。ラストシーンは、工夫しがいがある場面だ。

こんなにきれいに十字架にかかったままだと、ジーザスがステンドグラスか教科書の中に舞い戻ってしまうような印象を受ける。型にはまった「イエス様」のイメージを根底から覆す作品なのに、日本では逆をやるのか・・・。

カーテンコール
懐かしかった。音楽にあわせてみんな出てくる。これも昔と同じ。

カーテンコールの音楽が・・・文化祭とかで演奏するのにピッタリの明るいアレンジだった。

ついさっきまで十字架にかけられていたジーザス登場。

手も足もきれいに血をふきとられていて、白くて美しい。

そうだ、日本のJCSは

一人の美しい若者の物語なのだ。

ジーザスの清潔感あふれるきれいな白い手と足を見ながら、演出家の意図はここに集約されているのだと、その徹底した見事な手法に、妙に納得して、劇場を後にした。


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正直な四季のJCSに対する感想

私は聖書物語にこだわるようだけど、聖書っていうのは実は個々の人間のすっごい人間臭いエピソードにあふれているはずなのに、宗教だからという理由で、それらの物語まですべて平坦なものに変えられてしまっていることが残念でたまらない。

キリスト教の土壌がないからという理由で、ジーザスの時代のことや、エピソードもきちんと描かないまま、彼は最初から「美しい若者でした」と描いている。それも乱暴な話ではないだろうか。

きれいだけど、ジーザスがスーパースターと呼ばれる所以が分からないままだから、最後の見せ場で、ユダがトゲも毒もぬけきった「スーパースター」を歌わなくてはならなくなる。

違和感や拒絶を恐れずに挑戦するのがこの作品の本質にはあると思う。だから、魂の奥から揺さぶられるような、衝撃的な舞台を作ることが可能な作品のはずではないか、とファンであるが故に、ついつい、たくさんの要求をしてしまう。

まったく同じ演出(変わっているというのかもしれないけど)で、新鮮味もないのに、今もこの作品に観客が集まることに驚きを感じてしまう私。柳瀬さんや芝さんの功績なのだろうか。。。
この音響、このセット、この演出では、ジーザス役が新しい俳優に替わったとしても、私は再び観たいと思うだろうか。。。


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by tomokot2 | 2007-08-15 00:05 | ペ猫が観た舞台・ライブ | Trackback | Comments(21)
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Commented at 2007-08-15 02:39 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by J.B. at 2007-08-15 02:52 x
そう,四季のJCSは、綺麗なんですよね。バルサモ版も見ているうちの母も、四季版を見た後に、綺麗すぎると呟きました。
でも、この綺麗さこそが、日本人のイエスに対する気持ちを表しているのかもしれません。

四季以外の日本のプロダクションでのJCSも見てみたいなと思うけれど、四季が上演権を手放すとは思えない。
たぶん、演出を変える気もないでしょう。
でも、たぶん、ジーザスのキャストが変わったら、私は見に行くと思います。どんな人がジーザスやっているのかだけでも、興味がありますから。
Commented by tomokot2 at 2007-08-15 10:22
鍵コメ08-15 02:39さん

そうですかねぇ~。ま、一言一句知ってる作品なんで、重箱のすみをつっつく小姑になり果てておりますが~^^;
今度ゆっくりお話ができるチャンスがあることを心待ちしておりますぅ。是非是非~~宜しくお願いします。
Commented by tomokot2 at 2007-08-15 10:27
J.B.さん

四季はすべてにおいて、上品で洗練されているんですよね。
あ、私、あまり行きたいと思わないなんて言っても、行くんだろうと思いますよ~。特に美形の俳優さんだったら→おばさん根性♪
ただ、そろそろ、変えて欲しいな~って、思います。
あとはね、アイデアとしては、どこかのプロダクションのオリジナル作品の中の劇中劇でJCSのパロディをやっちゃうとか^^
とりあえず、今は、持ってるたくさんのJCSの音源を聴きまくっています♪
Commented by DADA at 2007-08-16 20:30 x
ペルシャ猫さま

率直なご意見で、拝見していて気持ちが良かったです。
私も感じたことをできるだけ素直に書こうとは思ったのですが、
自信がなくて、ちょっと遠慮したところもありました。

具体的に何処の部分からそう感じるのかよくわからなかったので、
感想には書かなかったのですが、
ペルシャ猫さまのお話しを伺って、そうそうと思いました。

ジャポネスクの芝さんのユダはジーザスを諭すような強い印象を受けたのですが、
エルサレムの金森さんのユダは同じユダでも苦悩していて芝さんとは違う印象を受けました。

「スーパースター」など、感じ方が全く違う箇所もあって、
拝読していて面白かったです。

他にも興味深いお話しがいくつもありました。(^^)

Commented by tomokot2 at 2007-08-17 00:22
DADAさん

私もちょぴっとは躊躇があったのですけど、やっぱり率直に書くことにしようって思いました。なんでもそうだと思いますが、みなさんそれぞれの見方があるので、これは私バージョンということで。。。
感想が違うのが面白いところです。
ところで、興味深いお話って何かしらん?また是非、感想や疑問をおしえて下さいね~♪
Commented by camelstraycat at 2007-08-17 22:39
ペルシャ猫さん こんにちは♪
詳細なレポありがとうございます。私もかつて山口さんのジーザス見ましたが、やっぱりジーザスという優等生による自己犠牲の物語だったように思います。そしてマリアも「マグダラの」マリアではなく、どちらかと言うとマリアはマリアでも「聖母」マリアの方のような清純なイメージ。たぶん四季ではそういう解釈なんでしょう・・。そこが納得いくかいかないかの分かれ目になるのかと。JBさまのお母さまがおっしゃった綺麗過ぎるというのもそこからきていると思いますし、私も同感です。もっとドロドロした人間ドラマを期待している観客にとってはそこが物足りないのですよね。そしてロックオペラがそれを表現するのに相応しい音楽媒体だとすると、それも実現されているとは言いがたい日本版ジーザスは、やっぱり四季のジーザスとして見たほうが良いのかもしれません。
あまりにも素材として有名すぎるし、解釈にも各人の思い入れがありすぎる物語なので、中々全ての人を納得させる事は難しいのでしょうね・・。
Commented by tomokot2 at 2007-08-18 14:25
straycatさん

いただいたコメントの最初の一行に、深くうなずいてしまいました。
みんな言うんですよね、「四季は四季のJCSなんだよ」って。原作とは違うし、コンセプト・アルバムのあのロックスピリット満載の原点も知られていないままでも仕方ないっていうか。日本のJCSは、特別扱いでいいんだろうと思いながら、やはり一度は、私の正直な感想は書こうと思ってました。
四季を観たあとに、映画を観て、え?全然違う作品なんだっていう衝撃を受けて、それからJCSが何故かいつも自分の心の中にあったんですよねぇ。どうしてあんなに違ってしまったのかな~っていう疑問が、今回は自分の中でやっと整理がつきました。

で、おっしゃるとおり、すべての人は納得できないと思います。どんなプロダクションを観ても、よかったね~なんて喜んで言い合えることもあれば、えー何?あれっていう感想もある。そういう反応は海外のJCSファンサイトでもおおいにあります。好みがすっごい分かれてます。それがまたこの作品を観るにせよ作るにせよ、尽きないの魅力のひとつなんでしょうねぇ。
Commented by Emily at 2007-08-19 01:09 x
>きれいだけど、ジーザスがスーパースターと呼ばれる所以が分からないままだから、、、

というところに同感です。CDで聴いたウィーンのコンサートバージョンでは、歌だけでも「スーパースター」であることが伝わってくるような気がしました。四季のバージョンでは、パワフルな高音のシャウトとかが無いから、民衆が熱狂するのがなんだか不自然な感じでした。でも、逆に四季のバージョンでロック色を強く出してしまうと、それはそれで変な感じになるのかもしれないですね。。。
Commented by tomokot2 at 2007-08-19 01:46
Emilyさん

ウィーンのコンサート・バージョンをお聴きになったんですね。あれはまたドリューがすごい強烈なジーザスを演じてますよね。セルカンのユダもまたすごく情感がこもっていて、あの二人がすごい重厚感をもたせてますね。
ああいうJCSに慣れてしまうとね、比べちゃいけないものだと思いながら、うーむ、ロックなJCSが日本で観れないのはちょっと残念な気持ちになっちゃって。。。でも、これから、ジーザスを見事に日本語で歌い切れる新人が出てきてくれたら嬉しいですねぇ。。。ただ、あまり感情がほとばしると、おっしゃるとおり四季にはあわなくて、演出意図にそぐわなくなっちゃうかもしれないですね。
Commented by JCSエンスー at 2007-08-19 20:43 x
本日、エルサレムJCSを観に行ったぞ。
下村ヘロデだ。
ダンス好きな王様を演じていてジャポネスクに通じていた。(軽快にステップを踏んでいた。)
半場ヘロデより拍手が多かった気がしたぞ。

金森ユダの苦悩は心の痛みが体への痛みになっていて苦しそうだった。
とても辛そうで新しいユダ(四季での)を観た感じだった。

それと一番の事件は逮捕シーン(ARREST)で、ジーザスが逮捕された後に4名の番兵の金属棒に乗せられ市中引廻しするところ。
ジーザスが落下したのである。
今まで15回ぐらい観劇したが初めてのアクシデントだった。
ジーザスが落ちても番兵は両手お持ち引きずり回していた。
演技が止まらなくてヨカッタ。ホッ(汗
一緒に行った知人はあれが演出じゃないのって言われてしまった。
おいらにとっては大事件だったのに・・・
Commented by JCSエンスー at 2007-08-19 20:58 x
今朝のTV番組『がっちりマンデー』に浅利慶太が出演して、人気が出る演目とは作品80%、演出・芝居20%のだそうだ。
皆さん色々なご意見をお持ちだが本日も満員でした。
JCSが好きな方80%、浅利慶太の演出を好きな方と役者の追っかけが20%なのかな。
(しかしキャスティングは発売初日には不明なので、追っかけはツライ。)
おいらはJCSファンなので80%の内一人だ。

劇団四季JCSの演出をネガティブに観れば色々と言いたい事はあるだろうけど、JCSの観方としてはつまらない観方だと思う。
当然十人十色の感想はあるのは理解するが、版権(上演権)で演出が規制されていない演目なので各プロダクションの演出を体感した方がより楽しめる観劇方法だと思う。
全世界で同じ演出しかできない『オペラ座の怪人』、『キャッツ』『ウィキッド』等は演出の比較できないのである。
これがJCSの醍醐味であり楽しみだと思う。

たぶん日本では劇団四季でしかJCSが観れないのがネガティブ発言や不満の根源だと思うけど。

劇団四季JCSのポイント:様式美にて演出(日本古来の舞台演出が採用されている)
Commented by tomokot2 at 2007-08-20 10:20
JCSエンスーさん

私の書いたことが不愉快だったらごめんなさい。ネガティブなようだけど実はポジティブな意味も込めてるんですけどね。素晴らしい面もあるってことは書いてるし。
きっと四季に対して辛口なことを書いている人は私も含めてだけど、愛情があるからこそだと思いますよ。
それに私は、四季のJCSも楽しくなかったわけじゃないです。これまでの歴史と可能性っていうものを感じながら観ました。それだけに、厳しい目でみてしまいますね。評論家的な見方はつまらないだろうけど、私のスタンスはあくまで「お金を払って芝居を見に行く観客」です。
JCSは充分に魅力のある作品ですから、それだけに、ここはもっとこうしたらいいのいなというのは、お客としては自由に言いたい♪意地悪な気持ちはないのですが、どんな俳優にもプロダクションについても、正直なことを書かせてもらおうと思ってるんですヨ。
Commented by はる at 2007-08-21 21:31 x
演出といえば、オラトリオのように上演しても面白いだろうな、とも感じたですよ。

四季の歌い方を鑑みるに似合う気がしますし、なにより姿の良い方も多いから格好良いと思うのよね。


あ、その時はもちろん生オケで、ね。(^^)
Commented by quast at 2007-08-21 23:03
こんにちは~。あのお方と一緒の観劇だったんですよね?(笑)
私も四季のJCSはかなり前に見ています。ちょうど山口ジーザスのデビューを見たことがあります。ファンだった沢木順さんがシモンからユダに昇格したのを見に行って涙を流したり(笑)、後輩がユダのコーラスガールでGo-goを踊っているのを発見してびっくりしたり、いっぱいエネルギーをもらったいろいろ思い出があります。そのころの四季はまだ一作一作に全力投球、ベストキャストをしていた「古きよき」時代でしたね。
Commented by tomokot2 at 2007-08-23 08:53
はるちゃん

>オラトリオ・・・!!おう~いぇーす♪ぴったりかも。

>ナマオケ・・・・やっぱりそうよねぇ。見る側の気持ちも是非聴いて欲しいね~。

演劇って、音楽の評論とかと状況が違うなって思うのね。ま~確かに演劇関係の雑誌は出てるけど、音楽雑誌の量とは比較にならないくらい少ないし、「●●は、良くなかったよ」とか「●●は客が入ってない」とか、ロックとかのほうが、お客さんの反応が早いし、ハッキリしてるみたいな。だからといって、ロックコンサートにお客の意見が反映されてもいないみたいだけど・笑 でもまぁ、お客さんが、はっきり言えるのはいいことだよね。

最近はブログとか掲示板とか、演劇についての情報がいっぱい出てくるのはいい状況だと思ってます。

はい。JCSをもっとたくさん観たいよーーーin Japan でって、訴えて続けたいと思います^0^
Commented by tomokot2 at 2007-08-23 09:00
quastさん

ようこそ~~~♪光栄でございます!!

>山口ジーザスのデビュー

あーーー私も観ました♪
やはり、昔の(笑)四季をよくご存じなんですね。
私も通いました~~~日生劇場。だからこそ、つい今の四季に、いろいろ注文つけたくもなるんでしょうねぇ。

あの頃はまだ、作品っていうより、役者さんで観にいってたかもしれないです。だれそれがやるんだってって。今は、やっぱり作品の話題性が先行するのでしょうか。それはそれでいいのですけどね。

あの、ミュージカルや演劇については、浦島花子な私、しかもなかなか海外まで足をのばせませんが、これからもどうぞ宜しくお願い致しますぅ。。。。
Commented by アリエル at 2007-08-28 15:44 x
ただただ、CD,ビデオ以外のJCSにあえる(私にとって)唯一の場・・・四季の舞台。昔のJCS仲間と行きました。ジャポ1回、エルサ4回。JCSにひたれるだけでよかった私だけれど、さすがペルシャ猫さん、すばらしい感想です。なにか消化不良ぽかったのがズバっと解決した感じです。だぶん私と同年代ですよね?私の初四季JCSは中学生のとき、文部省なんちゃらで安く、たしか地元、神奈川県民ホールだったと記憶します。鹿賀ジーザスに滝田ユダ、市村ヘロデでした。それから子育てを経て94年日生の山口ジーザス、沢木ユダ、なんともんたよしのりヘロデ。
でも山口さんは別格として、柳瀬さんもジーザスでしたね。今度はいつ東京で公演なのでしょう?待ち遠しい・・・
Commented by tomokot2 at 2007-08-28 16:05
アリエルさん

この記事へコメントをいただくっていうことは、私の書き方にご不満のある方かしら~と、おそるおそる^^;読ませていただきましたが・・・正直、ホッといたしました~。
そうなんです。おっしゃるとおり、ナマでJCSに触れることができる唯一の場が四季です。映画だってもう劇場じゃ観るチャンスはまずないですしね。テレビの画面じゃ映画の魅力が半減しちゃいますし。
コアなJCSファンの為に、そんな仰々しくなくっていいから毎年やって欲しいってオイオイ言ってることが変わったなと言われそうですが^^; 
新人にじゃんじゃん主役やらせて歌わせてくれるようなシステムがあればそれは観に行きたいかも。その中で、人気ある俳優も育つような。。。あ~すいません、つい暴走しました。
ご丁寧なコメントを書いていただいて本当にありがとうございました!
そのうち金森さんの初演の舞台装置について、もう少し調べたら、記事にしたいなと思っていまーす♪
Commented by アリエル at 2007-08-29 07:58 x
その情熱、うらやましい。楽しみにしています。
私は、特別四季が好きというわけではなく(四季ファンの方には怒られそうですが・・・実際四季はJCSと、あとCatsを一度観ただけ)JCSー作品ーがただ好きなんです。四季の舞台はすばらしいし、日本人のあの解釈(美しいジーザス!的を得た言葉ありがとうございました)のJCSも大好き。やっぱり毎年やってくれたら・・・行きます! 
Commented by tomokot2 at 2007-08-29 10:26
アリエルさん

こんなマニアックでオタッキーなブログだし、個人の趣味の世界でなおに、楽しみにしていて下さるという言葉は励みになります♪
できるだけ資料にもとづいた、偏りのない(^^;)ものにしていきたいと思っています。これからもどうぞ宜しくお願いしまーーす☆
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