70年代のヒット曲「愛とは強いもの」が、JCSと繋がって・・・
JCSと繋がって・・・・しまった。
先日、たまたまツイッターで目にして、気になったのがあるシンガーと彼女のヒット曲。

d0079799_22491789.jpg1976年に全米ビルボードのヒットチャートで最高2位を記録した「愛とは強いもの」
英語のタイトルは、"Right Back Where We Started From"

ヒットしていた当時、私は毎週ラジオで全米トップ40を聴いており、この曲を気に入っていたと思う。
歌手の名前が、マキシン・ナイチンゲールっていうんだけど、ナイチンゲールなんて可愛いし、マキシンなんてめずらしいな~と幼心(でもないけど)に刻まれていたのですね。

で、誰のどんなツイートだったか覚えてないんだけど、そこから始まって彼女の経歴(英語)を見ようとどっかのサイトに飛んだわけですね。

なになに~~~ドイツで「ヘアー」に出演していた。
お~~。そうだったんだ。70年代の人だからね、ありそうな話だね~。

ハズバンドは、Minoru Terada Domberger

え? ミノル・テラダ???




ハズバンドは、Minoru Terada Domberger

え? ミノル・テラダ???

もしかして、寺田稔?

あの、犬神家の一族の猿蔵役の?
も、そうなんだけど、ほれ、劇団四季のジーザス・クライスト=スーパースターの2代目ユダ。
CDにあの個性的な声が残っている、あの、寺田稔???

そうだ、間違いないわ。彼、ドイツ人とのハーフだったもんね、確か。
パパがドイツ人で、ドイツの大学に留学したりしてたんだよ。

マキシンの経歴を読み進んでいくと、彼女はイギリスのウェンブリー出身で10代で音楽活動を始め、1969年にウェストエンドで「ヘアー」に出演。その後、ドイツに渡り、そこで「ヘアー」に出演した。
その演出を手掛けていたのが、Minoru Terada Domberger

長身でエキゾチックな風貌の謎めいた青年(勝手な妄想)とマキシンはアッという間に恋に落ちた。
その後、マキシンはドイツ版のJCSやゴッドスペルにも出演。
マキシンとMinoru Terada Dombergerは結婚し、1973年には愛の結晶の娘が誕生。
彼女は家族と共にロンドンに戻り、女優として舞台に立つも、すぐに引退して子どもが寝ている夜の間にセッションシンガーとして歌うようになった。

そして、1975年、あの名曲と出会うわけです。。。
UKチャートで8位というのも素晴らしいけど、USチャートで2位まで駆け上がるほどのヒットが彼女をスターダムにのし上げ、映画音楽としても使われるまでに。
そうなると一時期、日本にもいたらしいんだけど、アルバムを完成させるためにロンドンに戻り、その後米国に渡ったと。。。

1976年といえば、夫の寺田稔氏も四季の舞台や映画出演の忙しい時期。
夫婦が同じ時期に海の向こうとこっちでブレークしてしまったというような状況?

夫婦を、もしかして引き離すことになってしまったヒット曲を、「明るくてポップで素敵な歌だな~」と思っていた私は、ちょっと切なくなりました。

「愛とは強いもの」(要約)
出会ったところに戻ってやり直しましょうよ。
だって、愛は素敵だよ。愛があれば大丈夫。
初めて会った(すごく天気のいい日)時のこと覚えてる?
あなた以外の人は考えられないって、私言ったでしょ。
愛し合ってる私たちが、別れるはずなんかないじゃない。
まだ、始まったばかりよ。ただ愛してくれればいい。
私にはあなたしかいないの。
ねえ。だから。あの場所へ一緒に戻りましょう。



by tomokot2 | 2018-06-26 23:41 | Trackback | Comments(0)
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